
マカオ観光編
三日目はマカオ観光に行ってきました。マカオには世界遺産がたくさんあるのではじめから行く予定だったのですが、いくら夜景がメインだからと言っても、香港だけで3泊4日はさすがにもたないんですよ。
昼間に時間を持て余すことはほぼ必至。

ここでマカオについて少し。香港と同じく、中国の特別行政区のひとつで、旧ポルトガル領。公用語は広東語とポルトガル語で、有名なのはなんと言ってもカジノでしょう。
香港と同じく入境事務は独立しているので、出国手続きと入国手続きがここで発生。同じ国なのにめんどくさいよ(´・ω・`)

ここから世界遺産めぐりスタート。
「マカオ歴史市街地区」として、22の歴史的建造物と8つの広場が2005年に世界遺産登録されました。
ここセナド広場は街の中心地にあり、マカオを代表する広場となっています。波模様の石畳が印象的。

1569年にアジア初の慈善福祉施設として設立された建物で、現在は一階が公証役場、二階が博物館になっています。

1587年に建てられた木造の礼拝所が、1828年に教会として再建されたと言われています。
しかし、旧ポルトガル領だけあって、マカオにはヨーロッパ的な建造物が数多くありました。
フェリーで1時間の香港とは文化も景観もまったく異なります。なんて言うかちょっとしたカルチャーショックw

貿易商の盧さんの屋敷だそうな。建造物として非常に価値があるそうです。



しかし、参加したいツアーが最少催行人数二名で断られてしまったので自力で行くことにしました。

結果的に、ツアーは高いし行く場所が限られてるので、自分で行ったほうがはるかにメリットがありました。時間の制約もありませんしね。言葉なんてなんとかなります。実際問題。

おぉ、確かになんかすごい迫力。

ちょっと横から見てみようか。

何やら火災で焼け落ちてしまったそうなのですが、まるでだまし絵みたいだw
ついでに後ろにも回ってみよう。

いや、きっと往時は素晴らしい教会だったのでしょう。今は見るも無残な姿でしたが。

完成は1888年ですが、当時、疫病が発生したときにその厄払いとして建てられたんだとか。

しかしマカオの住宅はずいぶんカラフル。ポルトガル領だったことがよく伺えます。
明らかに香港ではなかった光景。

婚姻を保護する神と崇められ、多くのポルトガル人がここで結婚式を挙げたそうです。

門が閉まっていたので中には入れませんでした。


ウィングとエアロつきでアルミまで履き替えてるのがなんだかかっこよくて写真撮ってしまいました。

で、この高台から見える悪趣味なカタチをしたクリーチャーは、グランドリスボアホテルという超高級ホテル。

ちなみに奥に見えるのはマカオ博物館。


撃て〜!!(-_-x)

奥にぼんやり見えてるのはマカオタワー。

タルト生地とカスタードクリームが奏でる絶妙なハーモニー。
と言えば美味しそうに感じますが、ちょっと油が多かったかな。まぁ、美味しかったですよ。

見慣れない色だなぁと思ったら、「SUGARFREE」と書いてある。当時はまだ日本では販売してなかったんですよねこれ。
そうそう、マカオの通貨ってパタカと言うんですが、香港ドルが普通に使えます。なので、香港ドルで買い物するとパタカがお釣りで返ってくるのですが、困ったことにこのパタカが香港じゃ使えないんです。
だから、小銭はマカオ滞在中に使い切るしかありません。

セナド広場の南側にある民政総署。その言葉から何となく想像できますが、行政事務を行っていた場所です。


商人たちが集まる場所であり、かつ寺院的な役割も果たしていたんだとか。

歩いてて思ったのですが、僕はマカオの街並みがけっこう好きです。というか気に入りました。

フィリピンから来たスペインの聖オーガスティン修道会が、修道院を建てたことがはじまりだそうです。
その後、現在の位置に移動し付属教会が建てられたとのこと。

1860年にできた、中国初のオペラハウス。
なんとなく大原美術館に似てます。雰囲気が。

いいですね。こんなところで優雅に読書でもしてみたい。

元は香港の大富豪の別荘だったようです。

1569年頃にイエズス会によって建立されたそうです。そして1846年、再建されて今の石造りに。

ここは、聖ポール天主堂跡と並ぶ、中国バロック建築の代表例。
さすがに歩き疲れたので、中に入って少し休憩しました。

結局、30ある世界遺産のうち、24ヶ所回りました。たぶんツアーだったら10ヶ所も行けなかったでしょう。
バスでフェリーターミナルに戻り、ふたたび香港へ戻りました。
心残りなのが、エッグタルトのおかげでまったく腹が減らなかったのでポルトガル料理を食べられなかったこと。