長崎後編〜由布院編
七日目。長崎からスタートし、佐賀〜福岡〜佐賀と移動しました。ようやく戻ってきたなぁという感じです。まず、雲仙地獄へ。
雲仙は、1991年に大火砕流を起こした活火山。僕は小学生だったのでほとんど覚えていませんが、長崎出身の友人曰く相当の被害だったそうです。
雲仙地獄の中でもっとも噴気活動が激しいという「大叫喚地獄」。
名前からして恐ろしい((((;゚Д゚)))
噴煙が立ち上り、硫黄臭がたちこめるさまは箱根の大涌谷さながらの光景でした。
まぁ、規模が全然違いますけどね。
雲仙足湯広場。こじんまりとした場所にあって落ち着いて足湯を愉しめました。
昨日の夜はちゃんぽんで精一杯だったので、昼食は、中華街じゃないけど皿うどん。
長崎に来て皿うどんを食べずに帰るわけにいきませんw
おもちゃ博物館。昔懐かしのおもちゃが所狭しと置いてありました。
おはじきとかメンコとかブリキのロボットとか、ちょっと世代が違いましたけどね。アラフォー世代が喜びそうな場所でした。
さて、雲仙をあとにし太宰府天満宮へ向かいます。
ちょっと遠いので諫早から高速を使いました。
太鼓橋と心字池。
天満宮は学問の神様菅原道真公をお祀りしている神社。北野天満宮とともに、全国天満宮の総本社となっているここ太宰府天満宮。
楼門。ここを抜けると御本殿。
京都遠征(2009年)のところでも紹介しましたが、牛は天満宮において神様の使者とされています。
しかしねじり鉢巻きとはなかなか粋な牛ですねw
太宰府から南下して久留米へ。B-1グランプリに行ったときに知ったのですが、久留米には久留米やきとりというB級グルメが存在します。
ならば、現地で食べてみようじゃないかというわけで行ってきました。美味かったです。ごちそうさま。
友人をホテルまで送り届け、僕は道の駅吉野ヶ里に向かいました。
けっこう有名な夜景スポットなのですが、遅い時間だったこともありなんとも微妙な…。
そのままここで車中泊しました。
八日目。ひたすら東へ進み、この日は別府まで行きました。
まず吉野ヶ里遺跡へ。
佐賀県の方には申し訳ないのですが、佐賀は、前半に行った唐津とここ吉野ヶ里遺跡くらいしか観光したいと思える場所がありませんで…。
あとは、伊万里とか有田とか、焼き物ばかり…。
すみません、どなたか佐賀県の魅力を僕に教えてください(;´Д`)
高床式倉庫。
ネズミなどの害を防ぎ、風通しをよくするために床が高くなっていると。はい、今調べました(笑)
物見櫓から南内郭を望む。
吉野ヶ里遺跡の見どころのひとつで、王や支配者層が住んでいたと考えられている場所です。
北墳丘墓。
歴代の王が埋葬されていると考えられており、発掘された本物の甕棺(かめかん)が展示されています。
縄文時代にはそのまま土葬していたのが、弥生時代になると石棺や甕棺を使って埋葬するようになったそうです。
保存状態をよくし、カビや劣化から防ぐために資料館となっており、適切な空調管理が行われています。
中のムラ。
祭りや儀式、政事に使うものを司祭者たちが作っていたと考えられている場所です。
しかしのどかすぎる。
佐賀をあとにし、高速で大分に入ります。ついに44県目に突入!
と、ここで事件が起こります。高速を走ってるとき、「ぴ し っ 。」という乾いた音が!
ま、まさか…。
フロントガラスの上のほうを見ると、飛び石がヒットしたらしくそこには縦方向に一本のヒビが。
ああぁ…やっぱりorz
日田ICで高速を降り、耶馬溪へ行ってきました。
耶馬溪とは、京都、日光とともに日本三大紅葉名所となっている場所で、岩がごつごつしたいわゆる奇勝です。
あと、新日本三景でもあるらしい。
青の洞門。
この洞門、禅海和尚という人が手で掘ったとのこと。かつては難所で、人や馬が命を落とすさまを見て心を痛めた和尚さんが30年ほどかけて堀ったらしいです。
もうすごいの一言に尽きます。
青の洞門近くにてパシャリ。
これが最後のクルマ旅になろうとは、このときはまだ知る由もありませんでした。
続いて一目八景へ。
群猿山、鳶ノ巣山、嘯猿山、夫婦岩、雄鹿長尾の峰、烏帽子岩、仙人岩、海望嶺の八つの景色を一目で見ることができることからその名がつけられたそうです。
紅葉シーズンに来たら、それはそれは見事な景色が見れるみたいですよ。
耶馬溪をあとにし、由布院へ。
こちらは代表的な観光スポットの金鱗湖。
「由布院」は「湯布院」とも書きますが、よくわからなかったので調べてみました。
元々は「由布院」だったのが、昭和30年に湯平村と合併した際に「湯布院」になったそうです。なので、昔からの地名には由布院、比較的新しいものには湯布院が使われているんだとか。
ちなみに現在は「由布市湯布院町」と言うそうです。もう何がなんだかわかりません。
金鱗湖の住人(笑)
というか、ぬしか?
シャガール美術館。
由布院には美術館が多いんです。これは、まちづくりの過程で、昭和期に起きた温泉街の歓楽街化に対抗するように鄙びた雰囲気を守り、さらに女性の集客upのために美術館や雑貨屋などのおしゃれな雰囲気づくりを進めた結果なんだとか。
由布院が女性に人気な温泉街なのはこうした理由があるからなのですね。
ここで三日間行動をともにした友人に別れを告げ、別府に向かいました。
そこらじゅうで湯けむりが上がっているさまは、さすがは湯量が豊富な別府だなぁと感心。
温泉に入って、次の日のためにこの日は血の池地獄の駐車場で車中泊しました。