
昭和の町〜京都〜帰宅編
大分後編。国道387号線を走り、着いた先は豊後高田市。「どこそれ?」って方がほとんどだと思いますが、ここには「昭和の町」という、昭和を再現した町並みがあるんです。

戦後の復興を経て、豊かになろうと日本中が必死になって働いたあの頃。
誰もが希望と活気に満ちていて、上を向いていた。近所づきあいが当たり前のようにあり、人情にあふれていた時代。僕はこの頃の時代が大好きで、心酔していると言ってもいいかもしれません。

ここ豊後高田の「昭和の町」を知ったとき、絶対いつか行こうと。ずっとそう思って過ごしてきました。

行かないと絶対あとあと後悔する、と。

ハゼから作られるロウで相当潤ったらしいのですが、その後衰退。財政も苦しくなります。地主たちが嫌がってマンションなどを建てなかったため、税収が少なかったことも理由だとのこと。
しかし、そのことで逆に古い町並みが残り、今こうして町おこしに使われているんだからしぶといというかがめついというか、まぁそういうところだよ、と。
地元のおじさんが教えてくれた話です。



それがいまや年間20万人以上が訪れる観光都市に変貌を遂げたのですから、本当に世の中何が起こるかわからないものです。

今でこそ、博物館やイベントというカタチで昭和の町並みを再現している場所は他にもありますが、ここまでの一大ムーブメントを巻き起こしたのは豊後高田の成功に因るところが大きかったのでしょう。少なくとも僕はそう思っています。

駄菓子屋や、当時の家屋、町並みがそのまま再現されている資料館。
どことなく新横浜のラーメン博物館を想起させます(笑)

本気でこういう家に住みたいです。

こういうところで、子供が母親の料理を手伝う。なんてほほ笑ましい光景なんだろう。

「こんなメシが食えるか!!」みたいなノリで。

写真の掲載枚数の多さとわざわざ大分後編を作ったのが、その浮かれっぷりを物語っていますよねw

この辺りはさすがにリアルタイムじゃないので、懐かしさがこみあげてきたりすることはなかったです。
ちなみに、豊後高田の歴史について教えてくれたおじさんは、実はここの館長さん。

いつか連れて行ってあげたいけど。さすがに神奈川からじゃ遠すぎるな…。

そんな少年時代を過ごしてみたかった。叶わない夢です。

思わず買ってしまいましたが。どっからこんなもん持ってきたんだろうw

今年二度目の別府。フェリーの乗船手続きを済ませ、前回行けなかった寿司屋へ。
ずいぶん長いこと九州にいたので、屋久島にいたのがもう遠い昔のように感じられます。
今年は二度も九州に行き、長年の目標を達成し、長年行きたかった昭和の町にも行けた。おそらく、もう九州に行くことは当分ないでしょう。そう思うと、別れがずいぶん名残惜しいものとなりました。

なので、京都市内を少し観光することにしました。

まずは天龍寺に行きました。臨済宗の寺院で、天龍寺と言えばこの龍の襖絵。


確かに、美しい庭園でした。

下賀茂神社とともに、加茂氏の氏神を祀っている神社でやっぱり世界遺産に登録されています。

17ヶ所ある京都の世界遺産、今回三ヶ所訪問して訪問済は10ヶ所になりました。
出発しようと思ったら雨が降り出し、そっから岡崎までひたすら雨の中運転。
途中、居眠り運転をかまし死にそうになったのでレッドブル注入(笑)
雨で休憩できるような状態でもなかったので、ほぼノンストップで岡崎まで走りました。
さすがに、そろそろ疲労がピークを迎えてきたか。

浜松に地元の友人が住んでいて、つい最近子どもが生まれたとのことで、お祝いも兼ねて少し寄って行きました。
手みやげにうなぎパイを買って行ったら苦笑いしてましたが(笑)
浜松餃子を食べ、家に戻ったら強烈なにわか雨が降ってきたので少し雨宿りさせてもらい、16時頃出発。
静岡市内で雨もやみ、その後は順調に走り21時頃帰宅しました。ただ、ものすごく寒い日で箱根峠とか15度しかなかったほどで、風邪ひきそうになりましたが。
10日間の走行距離は2,215km。
高速が走れない125ccのバイクでも九州、屋久島まで行けちゃうんだってことが今回の旅で実証できました。
ガス代がとてつもなく安く、すり抜けできるから渋滞も関係ない。駐車場が空いてなくてもバイクなら停めれることが多い。しかも無料で。
フェリーも安いし、いい景色に出会えたら気軽に停まって写真が撮れる。車中泊できない分、布団で寝れるのでちゃんと疲れがとれる。
とまぁいいことづくめ。逆にデメリットは、荷物があまり積めない。あと、雨や風がつらい。ってとこでしょうか。
とにかく、これでバイク旅の実績と経験ができたのでもう大丈夫だな、と。そんなことを思いました。