◇◆ 行程 ◆◇
  ■1日目
東名  ⇒  首都高  ⇒  東北道  ⇒  道の駅村田(車中泊)
  ■2日目
被災地見学  ⇒  ボランティア作業  ⇒  車中泊
  ■3日目
ボランティア作業  ⇒  東北道  ⇒  首都高  ⇒  東名



2011年3月11日14時46分。日本観測史上最大のマグニチュード9.0の大地震が東日本を襲いました。
僕はこのとき川崎の職場にいて、震度5強という今まで体験したことのない揺れを経験。
原発事故、買い占めによる物資の不足、ガソリン不足、計画停電など、その後色々なことが起こりました。

混沌とした中で、街頭、企業、店舗、様々な場所で募金活動が行われました。僕もはじめは赤十字を通じて募金をするつもりでした。
でも、本当にそれでいいのか?
被災地に目を向けると、不自由な避難所暮らしを余儀なくされている方々がたくさんいる。めちゃめちゃになった街を元通りにし、一日でも早く仮設住宅に移ること、これこそが被災地の方々が望んでいることであり、そのためにはまず人手がいる。義援金はその後からでも充分じゃないか。
そう考えたら自然と答えが出ました。たぶん、義援金を出したらそれだけで満足してしまい、支援に対して自己完結してしまう気がしてそれが嫌だったというのもありますが。

とにかく、現地に行って何かをしよう。お金なんかよりそういう気持ちのほうが被災者の方々には届くのではないか。
そのような思いからボランティアに行くことにしました。


東北道が復旧し、多くの自治体でボランティアセンターが機能し始め、一般ボランティアの受け入れが始まっていた4月末、市外、県外からの受け入れをしていた宮城県の岩沼市に行くことに決めました。
仕事を休み金曜日に出発。この日は移動のみで、道の駅で寝ました。
翌朝ボランティアセンターに行くも、雨天のせいでニーズが少なく列の直前で打ち切られてしまったので、並んでいたときに仲良くなったお二方と、三人で沿岸のほうへ行ってみました。
もう言葉が出ませんでした。そこにはテレビでしか見たことのない、信じられない光景が広がっていました。
民家の外壁には津波の水位の線が残っていましたが、場所によっては二階くらいの高さまで来ていました。
これじゃ助かるわけがない。ただただ絶句しました。
あの瞬間、この場所で起きたことを想像したら恐ろしくなりました。
本当に自分は今被災地にいるんだということが心の底から理解できました。
辺りには自衛隊員がたくさんいました。道路だけは車両が通行できるように綺麗になっていましたが、自衛隊員たちの尽力によるものだと思います。本当にご苦労様です。
ここから先は、実際にボランティアで行った作業内容を紹介します。
(写真は、午前中に見て来た光景がまだ続きます)
午後、僕が担当することになった作業は、とある農家のビニルハウス内に積もった泥を運び出す作業でした。
土の上に、津波で運ばれてきた泥の層が積もって固まっているんです。
ご主人曰く、塩分でやられて畑も一年は使えないんじゃないかとのこと。さらに、米を乾燥させる機械や、農作業用の機械がのきなみ海水でやられて被害は2000万円とおっしゃっていました。
かける言葉もなかったです。
当日の話を聞くと、津波は三回か四回来たそうで、黒い波が押し寄せてきて道路には色々なものが散乱してひどい状態だったそうです。
そのお宅は海から2km離れているのですが、ビニルハウスに残っていた津波の跡は腰の高さくらいありました。
2kmも離れてるのに。
「まさか津波なんて来ると思わなかったよね」
ご主人の言葉です。
そのような被害に遭われたのに、気丈に振る舞っている姿が印象的でした。
少しでもお役に立てたのだろうか?
そんなことを自問自答した一日でした。
自分一人ができることなんて本当に微力だけど、全国各地から集まったボランティアの力が結集すればちゃんとした支援ができることを実感しました。そして、自分と同じことを考えて集まった人たちがこんなに大勢いることに勇気づけられ、励まされ、嬉しくなりました。
大したことはできなかったかもしれないけど、本当に来てよかった。心からそう思いました。
ボランティアセンターに戻ったら、炊き出しのうどんをいただきました。
作っていたのは、兵庫県加西市の社協(社会福祉協議会)の方たち。はるばるバスに乗って来られたそうです。
この加西市。実は僕はこの市と非常に深い縁があるんです。まさか宮城にボランティアに来て加西の方たちと出会うなんて思いもしませんでした。
運命のいたずらというべきか。そんなことを思いました。

このあと、午前中に仲良くなった方たちと、計4人で名取にあるスーパー銭湯へ行きました。
僕を含め、埼玉、東京、神奈川、神奈川と全員が関東在住。年齢こそバラバラでしたが、集まった目的は同じ。色々な話をしました。こんな出会いも一期一会。

ボランティアセンターのすぐ近くに「テント村」と呼ばれる公園があって、長期のボランティアさんたちはみんなここでテントを張って生活していました。
僕もテントを持っていったのですが、あいにく雨が降っていたので公園の駐車場にクルマを停めて車中泊しました。
これがそのテント村。二日目は昨日の雨が嘘みたいな青空。
昨日の作業と二夜連続車中泊ですでに体がガタガタです(笑)
二日目は、送迎スタッフのおじさん曰く「爆心地」という、海から500メートルくらいのお宅で作業させてもらうことができました。
このあたりの家は、ほとんどが基礎しか残っていませんでしたが、たまたま被害を免れたお宅で、「取り壊すのはいつでもできるから」という理由で残すことを決めたそうです。
食器や本を段ボールに入れて二階に運んだり、たんすの整理をしたり、家の中の掃除をしたり。
一階の壁には、海水が流れ込んだときの水位の線がはっきり残っていました。胸の高さでした。
隣の家は、一階がすべて水に浸かったそうです。
家具や家電で積まれた瓦礫の山を見てたら涙が出てきました。
「なぜここの人たちはこんな目に遭わなければいけなかったのだろう」と。

「記念に持って帰ってください。東北のお酒を飲んでください(笑)」と、奥さんからぐい飲みをいただきました。
僕はこの目で見た被災地の光景と、このぐい飲みをくださったおばちゃんのことを一生忘れません。